こんにちは!
アウトドアマウンテントレーナーの澤田佳奈です。
普段はフィットネスインストラクターとして、主に公共施設でダンスフィットネスプログラムやケア・トランポリン(上に飛ばないトランポリン)のクラスを担当しています。
「真夏の練習会を企画して下さい」と言われて
「澤田さん、真夏の練習会を企画して下さい」
ある日、所属するウルトラランニングクラブの会長夫人から、練習会企画の依頼がありました。ウルトラランニングクラブは、フルマラソン以上の距離を走るマラソンの愛好家の集まりですが、時代の流れと共にメンバーも高齢化し、近年は山歩きやスロージョグがメインとなっています。距離もとても「ウルトラ」とは言えません(無理は禁物なので仕方がないですね!)。
問題は、企画者として参加メンバーの要望に応えること。その「要望」というのが…
- 行ったことのある場所はNG
- 練習会のあとに「お風呂」があること
- 「お風呂」のあとに「飲み会」があること
と、いう内容でした。走り歩き以上にメインは「アフター」ですね(笑)
この3つの条件全てをクリアするために、私はさっそく下見を開始しました。試行錯誤の末、やっと「OK」が出たコースというのが…
題して「嘉飯今昔物語」
私が現在暮らしているのは、福岡県のほぼ中央にある「飯塚市(いいづかし)」という街です。隣の「嘉麻市(かまし)」と併せてよく「嘉飯地区(かはんちく)」という呼び方をされています。
一級河川遠賀川(おんががわ)の上流に近く、付近に残る古墳から、古来から人が住みついていた形跡がうかがえます。江戸時代には長崎街道の宿場町として栄え、江戸の中期には当時の福岡藩と小倉藩によって炭鉱の開発が始まり、明治期には付近一帯の筑豊炭田(ちくほうたんでん)から産出された石炭が国内のほぼ5割を占めるほど全国に流通する等、日本の近代化と大きく関わってきた地域でもあります。
そんな飯塚市と嘉麻市の歴史を探り、炭鉱が閉山した今、新たに誘致された商業施設を訪れる、そんな企画です。本番は8月下旬…、暑いのでスタートは午前8時過ぎ。もう少し早くしてもいいのですが、参加者の大半は、ここから電車で1時間ほどの北九州市から来ます。8月下旬の日曜日、物好きなランナー14名が新飯塚駅に集まり、スタートです。
実は全国にあった「皿屋敷伝説」
今回の目玉は、旧碓井町(うすいまち)、現在の嘉麻市上碓井(かみうすい)にある「碓井郷土館」で、その中の一角にある「皿屋敷伝説」コーナーです。
え?「皿屋敷」って、東京の番町皿屋敷じゃないの?
そう思われた方。実は、皿屋敷伝説は日本各地に同じような逸話が残っているんですね(偉そうにいう私も、今回のコースの下見で初めて知ったのですが)。
真夏の炎天下を3時間近く走り歩きして、やっと涼しい建物の中(しかも無料)へ。中には上碓井に残る「皿屋敷伝説」の解説ビデオがありました。ひとしきり涼しくなったところで、皿屋敷伝説のヒロイン、お菊さんを祀るお菊大明神へ。
皿屋敷の舞台となった屋敷跡の奥にお菊さんが身投げしたと言われる井戸があり、その横にお菊大明神があります。お菊大明神は、足腰の病にご利益があるという事で、腰痛に悩むメンバーがお参りしていました。
お菊さんが身投げしたとされる井戸は、普通の井戸よりかなり狭く、お菊さんはどこまでスレンダーな体形だったのか?と疑ってしまいました。たいていの女性は、胸かお尻で引っかかりそうですが。
実は、お菊さんのお墓がある、と言われるお寺も近くにあります。
そして「道の駅うすい」で昼食です。なぜか福岡県の山間にあって海が遠いにも関わらず、お寿司が豊富に並んでいました。他にも、嘉穂牛(かほぎゅう)を使ったコロッケやメンチカツが名物です。
真夏の32度の炎天下を歩き、たどり着いた「かえる寺」でシャボン玉とカエルのモニュメントをくぐって童心に帰ります。最後は、最近出来た商業施設「カホテラス」と「ゆめタウンいいづか」に立ち寄り福祉施設のお風呂で汗を流して、生簀(いけす)のある居酒屋で鯛のお造りに舌鼓を打って乾杯!
約30キロ、休憩時間も含めて8時間の道草ランは、こうして無事終了。「鍛えていただきました」「面白かった」と、注文多き仲間たちからは、なかなかの「高評価」をいただきました。
実は続きがありまして…
今回の企画の前に、実は考えていた他のコースがありました。
炭鉱の歴史をめぐる走り歩きコースで、直方市(のおがたし)の石炭記念館に立ち寄る予定でした。下見の段階で立ち寄ると、入館料100円に対し、ボランティアのおじさんが1時間、解説をしてくれます。
その内容がかなり濃くて、伊藤伝衛門や当時の炭鉱王たちの武勇伝に始まり、沖仲士(おきなかし)と言われた、石炭を船から船へと運ぶ人足(にんそく)の話。その人足を束ねていたのが玉井金五郎(たまいきんごろう)という親分で、そのお孫さんがアフガニスタンで命を落とした医師・中村哲氏であることなどなど。
残念ながら、直方石炭記念館を訪れるコースは、会長夫妻が企画する90キロウォークに組み込まれましたが、本番のウォークでは皆さん、90分に渡るボランティアの方の熱心な話しに聞き入っていました。
さらに年末は別のメンバーの企画で玉井金五郎親分が活躍した「若松」が舞台のウォークでした。この時は、若松港の築港に尽力した若築建設の資料館「若築資料館」に立ち寄りました。そこで、遠賀川から運んできた石炭を若松港から全国に船で出荷する際、狭かった河口付近を大幅に浚渫(しゅんせつ)した事実を知ります。
そして、街道巡りで訪れた中間市(なかまし)でボランティアガイドの方から、官営八幡製鉄所(かんえいやはたせいてつしょ)の設置場所として、現在の北九州市門司区を考えていたこと。
そこへ当時の炭鉱王たちが「鉄を造るには、燃料となる石炭が必要だ。だから俺たちの炭鉱にできるだけ近い八幡がいい」と推したこと。さらに、当時の陸軍と海軍が、「関門海峡を挟んだ門司では、敵国から容易に狙われる」と指摘したことから、製鉄所は門司ではなく、八幡に置かれたことなど。どれも初めて耳にするお話を聞かされました。
そして、街道の先にある高倉健さん(中間市出身)の菩提寺の前には…。遠賀川は江戸初期までは今より西の地域を蛇行するように流れていた、という史実を知ります。
ということは、つまり…。石炭積み出し港の若松まで舟で石炭を運搬するため、あえて東寄りに最短距離で安全に運べるよう、流れを変えた、ということでしょうか?
最後は私の憶測ですが、こうして、単なる趣味の範疇での走り歩きが、気付けば一つのストーリーとして「点」と「点」が「線」でつながっていく様子を、今は楽しんでいます。
一人で楽しむのは勿体ないので、ウルトラランニングクラブの練習会のほか、いずれは一日何組か限定の「走り歩き旅」を企画できたら、と思っています。どうか皆さんも、素敵なアウトドアライフをお楽しみ下さい。